大江健三郎『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』

近年、大傑作を連発しているように思う(『さようなら私の本よ!』は、
自分の生涯ベスト小説になるかも!)大江健三郎の最新作を、ようやく
時間をみつけて読むことが出来ました。事前に、小森陽一長嶋有
足して2で割った人物として木森有という人物が出てくるという情報を
聞きつけ、“く、く、く、くるってる”と期待していたのでありました。


でも、読んでみた感想としては、あ、これ、オイラあんまりわからんわ、と。


文学からは縁遠い人間である自分は、「文学は大江さえいれば良い!」と
力強く叫んで、そのあと神様が本当にそのようにしても、そのあと、ちょっと
後悔して開き直れるくらい、大江健三郎という作家が特権的に好きなのですが
そのくせ、ある時期以降の大江の中心的なモチーフである「森の物語」とか
「過去の一揆」とか、そういうもの自体は、ほとんど理解できないという
センスの持ち主なのです。大江が小説の中で、それらを「反復」しようと
したり、「恢復」しようとしたりすること、そして、そこから起きる物語には
いまだに大きく心動かされるのだけど、その際に興味があるのは、“反復される
対象”“恢復される対象”自体、つまり森やら一揆ではなく、反復や恢復、
そしてその結果という外枠だけなのです。そういう意味では、自分は最終的に
大江が伝えようとすることは、わからない人間であると思っているのです。
ただ、大江が書くものが好きなだけ。


そんな次第でありまして、おそらく、文学的なものの反復やらなにやらを
目指しているように感じられるこの小説について、自分は、わからない部分が
あまりに大きいのでありました。正直、良いのか、悪いのかすらわからない。
ごめんなさい。でも、再開の一発目は大江で行きたかったのです。

臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ

臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ